今日12月8日【真珠湾攻撃】なぜ起こったのか?わかりやすく解説

戦争
ハワイ真珠湾、日本軍機による攻撃で大爆発を起こす戦艦「アリゾナ」 引用元:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70708740

今から82年前の今日、1941年12月8日、日本海軍がハワイ真珠湾を攻撃し、アメリカ軍の太平洋艦隊を壊滅させました。

真珠湾攻撃
炎上するハワイ真珠湾の上空を飛ぶ日本軍機
引用元:, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1146728

この真珠湾攻撃の1時間前には日本陸軍により当時のイギリス領マレー半島への上陸作戦が始まり、マレー半島上陸と真珠湾攻撃という2つの戦いにより、日本はアメリカ、イギリス、オランダなどの連合国と戦争を開始することになりました。

undefined
マレー半島に上陸して、ジャングルを進む日本軍の戦車
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=56070709

では、連合国の中でも桁違いの工業生産力を持ったアメリカに対して、当時の日本はなぜハワイ真珠湾攻撃というかたちで「戦争を仕掛けたのか?」について、分かりやすく見ていきたいと思います。

もっと知りたい人にオススメ!
真珠湾攻撃を、当日作戦に参加した軍人の視点から描かれた作品。
真珠湾攻撃の背景から準備まで、当時の日本側の内情がよく分かる貴重な本。↓
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

風鳴り止まず〈真珠湾編〉【電子書籍】[ 源田実 ]
価格:1,100円 (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

開戦から終戦まで、太平洋戦争の流れが時系列で分かりやすく書かれている。↓
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

いまこそ読みとく太平洋戦争史 やさしい!くわしい!新しい!! [ 諏訪正頼 ]
価格:1,870円(税込、送料無料) (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

真珠湾攻撃ってそもそも何?

あらためて言うまでもありませんが、真珠湾攻撃は当時のアメリカ軍太平洋艦隊がその拠点とし、日本との軍事衝突に備え集結していたハワイ真珠湾の戦艦部隊に対して、日本海軍の空母から飛び立った航空機による攻撃が行われた出来事です。

この攻撃で、アメリカ軍は主力戦艦など4隻が沈没、他の艦艇や航空機などにも多数の損害を出し、約半年間、アメリカ軍の太平洋海域での行動を大幅に制限させることとなりました。

では、なぜ当時の日本はハワイ真珠湾を攻撃するという大胆なことを行ったのか? その背景について見ていきます。

満州国建国、日中戦争で日米関係の悪化

少しさかのぼって、1931年に日本が敷設した満州鉄道の線路が爆破されます。これは日本軍による自作自演でしたが、中国軍のしわざとして攻撃を仕掛け満州国を一方的に建国してしまいます。

undefined
満州事変で、瀋陽に入る日本軍
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=678770

この満州国建国は、世界恐慌に端を発した不況により、当時植民地を多数持っていた欧米の後を追うように自国の経済圏を拡大して、不況を克服しようとする試みでした。

また、当時のソ連に対する自国の防衛線を築くという意味合いもありました。

undefined
満州鉄道の爆破現場を調べるリットン調査団
引用元:https://withnews.jp/article

しかし、当時の国際社会はこの正当性を認めず、日本の侵略行為として非難します。アメリカもこの日本の行為を認めず、それまで友好関係にあった日米関係が悪くなるきっかけになりました。

この国際社会の非難をきっかけに、1933年に日本は国際連盟を脱退し国際的に孤立していくこととなります。

1937年には、盧溝橋にいた日本軍の訓練中におきた発砲事件を、またも中国軍のしわざとして日中戦争を開始。戦いを中国大陸の中部・南部へと拡大していきます。


日中戦争の拡大
引用元:http://shakainomado.blog.jp/archives/27235203.html

他の欧米諸国ほどではありませんでしたが、中国に権益をもっていたアメリカも、この日本の行為は到底認めることができず、さらに日本による戦争の拡大が、フィリピンなど自国の植民地に及ぶことも恐れ、対日資産の凍結など日本に対して経済制裁を検討していくこととなります。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

風鳴り止まず〈真珠湾編〉【電子書籍】[ 源田実 ]
価格:1,100円 (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

対日制裁

日中戦争当初、日本政府は戦争不拡大の方針でしたが、天皇主権のもと陸軍・海軍は統帥権の独立を盾に取り、さらに犬養毅首相を襲った5.15事件や、首相官邸や警視庁などを占拠して天皇による親政を主張した2.26事件などを契機として軍部の発言権は高まり、日本政府の意向を無視するようになっていきます。

今現在の日本のように、内閣総理大臣が行政権のトップである政治体制ではなく、陸軍や海軍を運用する権限は、形式的には天皇にあり(実質的に陸海軍それぞれのトップに権限があった)、当時の内閣総理大臣にはありませんでした。

日本政府も軍部に押される形で、中国での戦闘を鎮圧することを目的に日本軍の増派を決定し、中国軍に対して決定打が得られないまま戦線が拡大していきました。

当初アメリカは孤立主義の立場から、日本の動きには否定的だったものの、対日経済制裁などには消極的でした。

しかし、日中戦争が始まると対日経済制裁の可能性について検討し始めます。

日本も当初は、アメリカの経済制裁による石油の禁輸を考慮して、オランダ領インドシナなどの石油資源の購入をオランダ政府に打診しますが、満州国建国や日中戦争を日本が行っていることを理由に断られてしまいます。


石油資源などの安定確保が難しくなっていく中で、日本は武力による資源確保を目指していきます。

そのような中、1939年に第2次世界大戦が起こり、1940年の5~6月にかけてフランス、オランダがドイツ軍によって占領され、これを契機に1940年9月の日本軍による北部仏印(フランス領インドシナ)進駐、翌41年7月には南部仏印進駐をドイツ軍占領下のフランス政府に認めさせ、中国軍のアメリカ・イギリスによる支援である援蔣ルートの遮断と、オランダ領インドシナ(現インドネシア)などの資源地帯を確保する足掛かりを作っていきます。

オランダ領東インド
日本はオランダ領東インドを確保するため、フランス領インドシナに進駐する
引用元:https://manareki.com/invasion-of-southern-french-indochina

undefined
1941年、フランス領インドシナ(現ベトナム)のサイゴン市に入る日本軍
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7654046

ここに至ってアメリカは、フィリピンなど自国の植民地への脅威とみて、1941年7月に国内の対日資産の凍結、8月には石油の対日輸出を全面的に禁止する厳しい措置をとります。


日本軍の仏印進駐は、フィリピンやビルマなどアメリカ、イギリスの植民地をも脅かす
引用元:https://manareki.com/abcd-encirclement

日本に侵攻されていた中国をはじめ、イギリス、オランダも歩調を合わせるように、日本に対して経済制裁を強めていきました。

そして、この対日経済包囲網を、アメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の頭文字をとって、日本国内ではABCD包囲網と呼ばれました。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

いまこそ読みとく太平洋戦争史 やさしい!くわしい!新しい!! [ 諏訪正頼 ]
価格:1,870円(税込、送料無料) (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

満州国など中国からの撤退か、戦争か?

当時石油のほぼすべてをアメリカの輸入に頼っていた日本は、窮地に立たされます。国内の備蓄や当時日本が持っていた植民地を合わせても1年、節約しても1年半分の石油しかありません。

これでは、自動車や船舶の運用はおろか、戦艦や航空機などによる軍事行動もできなくなります。普通にアメリカと戦っても、1年後には日本が降伏せざるを得ない状況が待っています。

アメリカは石油禁輸措置などの取り消し条件に、中国や仏印などからの撤退を要求してきます。

「中国や仏印などからの撤退というアメリカの要求を受け入れて、石油輸入を再開させるか? アメリカなどと戦争をして、石油資源獲得への道を開くか?」

日本の政府や軍部の間で、激しい議論が行われました。

外交交渉と作戦準備の同時進行

日米での外交交渉とともに、日本国内での政府と軍指導部の間での会議の結果、3つの案が浮上します。

1つ目は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)案」
アメリカの要求を受け入れて、戦争を回避し、将来国力を付けたときにこの屈辱を晴らす。
2つ目は「開戦決意案」
ただちに戦争を決意して、政略・戦略をこれに集中する。
3つ目は「外交・作戦併行案」
戦争を決意して作戦準備を進める一方、外交交渉も行い日本の意思が通るように努める。

当時、日本政府の東郷外務大臣は、1つ目の「臥薪嘗胆案」による戦争回避を主張します。

undefined
東郷茂徳・外務大臣
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9651189

「たとえ日米交渉が不調に終わっても、日本の方から挑戦しない限り、米国から戦争を仕掛けてくるとは思えないので、自重すべきではないか」

これに対し、海軍のトップである永野軍令部総長は、2つ目の「開戦決意案」を主張。

undefined
永野修身・軍令部総長
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=551283

「統帥部としては敵の来たらざるを恃んで、安心していることはできぬ。三年もすれば米国の軍備は著しく強化され、もはや戦おうにも戦えなくなる」(勝機を得るには今しかない)

といった応報が続き、激しい議論が続きました。

その結果、1つ目の「臥薪嘗胆案」と2つ目の「開戦決意案」は置いて、3つ目の「外交・作戦併行案」が検討されていくことになります。

収拾がつかず、玉虫色の決着といったところでしょうか。

東條首相により、「1941年12月1日の午前零時をもって、外交打ち切りの期限とする」こととして作戦準備と同時に、外交交渉が続けられます。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

いまこそ読みとく太平洋戦争史 やさしい!くわしい!新しい!! [ 諏訪正頼 ]
価格:1,870円(税込、送料無料) (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

航空主兵への運用転換

戦雲が高まってきた1941年の初めから、日本海軍はアメリカ軍との戦いに備えて作戦を研究していました。

そこで出てきたものが、航空攻撃のみによって敵戦艦を撃沈するというものでした。

さかのぼれば、第一次世界大戦が終わった1920年代から日米はともに相手を仮想敵として特に海軍の戦略・作戦を研究していました。

そこで日本海軍のネックになったのが、1922年に成立したワシントン条約です。

戦艦や空母などの保有数を制限し、アメリカ、イギリスの保有量の6割に日本の保有量が制限されました。

日露戦争や第1次世界大戦ともに、海の戦いは戦艦同士が弾を打ち合って、相手の戦艦を撃沈させる戦いが主力であり、その保有量が相手の6割しかないとなると「戦いにおいては数の多い方が勝つ」というN2法則が当てはまり、日本の負けは目に見えています。

アメリカとのハンディを埋めるべく、日本海軍の一部では、1930年代に入ってから性能が向上してきた航空戦力に目を付けることになります。

しかし、航空機の攻撃のみで戦艦を撃沈するという世界的に前例のない、思い切った発想は海軍内部でも大反対の嵐にあいます。

「航空機の攻撃だけで、戦艦など沈められるはずがない」
「航空機の攻撃は、敵艦隊に一定のダメージを与えて、戦艦同士の戦いを優位に進める補助に過ぎない」

しかし、1920年代にアメリカへ留学して、航空機の戦力活用にいち早く目を付けていた海軍の山本五十六は、

「航空機の攻撃だけで、敵艦隊を沈めることは可能だ」
と主張し、戦艦に投下する徹甲弾の威力を測定するために、ドイツから輸入した鋼板を使用して実験し、データをとるなど数字と実践に元づく合理的な研究を部下に行わせていました。

そして空母と航空機の大増産を唱えていましたが、世界は未だ戦艦主兵を信じ、もとより日本海軍の首脳もその戦艦主兵を強く信望する中で、聞く耳は持たれませんでした。

アメリカへの留学経験があり、その膨大な国力をこの目で見ている山本は、同時にアメリカとの戦争に強く反対した一人でした。

日本国内の世論も戦争への機運が高まっている中で、暗殺などを恐れた海軍は、山本を連合艦隊司令長官という海軍の艦艇部隊トップに起用し、艦艇勤務とすることで彼の身の安全を図ります。


山本五十六・連合艦隊司令長官
引用元:https://www.jiji.com/jc/v2?id=20110803end_of_pacifi_war_06

艦艇部隊のトップである山本長官のもと、海軍首脳の戦艦主兵という頭はそのままで、その時点で存在する空母や航空機の運用面だけで航空艦隊を作る試みがスタートしました。

開戦した場合、山本はハワイ真珠湾を第一目標として、訓練を開始。

海面震度12mという浅海の真珠湾に合わせて進む魚雷の改良や、1940年に制式採用された新型戦闘機である零戦(零式艦上戦闘機)などの増産を急ピッチで行わせます。


真珠湾の浅い海底深度に合わせて改造された航空用魚雷
引用元:https://trafficnews.jp/post/91742/2

undefined
すでに中国戦線で使用されていた零戦
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11477440

また、それまでにない空母の集中運用や、魚雷攻撃機は魚雷投下に合わせて高度10mを飛ぶ低空飛行など、あまりの激しい訓練に基地周辺の住民からは騒音などの苦情が多く寄せられています。

しかし、その猛訓練のかいあって、航空艦隊は着実にでき上っていきました。

Large 191127 ijn 02
ハワイ真珠湾で想定された3つの攻撃法
【①水平爆撃 ②急降下爆撃 ③魚雷攻撃】
実際に、この攻撃法がそのまま実施された
引用元:https://trafficnews.jp/post/91742/2

 

交渉決裂

アメリカとの戦争に備え、作戦を練る一方、外交交渉も継続されていましたが、日米でこれといった一致点を見出せずにいました。

この交渉中も、日米ともに開戦の準備を進めており、

アメリカ海軍は、ハワイ真珠湾にアメリカ太平洋艦隊を集結させ
日本海軍はそのハワイ真珠湾を攻撃して敵の戦意を一挙に奪い、早期講和に持ち込む狙い

がありました。

そして、戦後に通称「ハル・ノート」と呼ばれることになる交渉文書が、1941年11月27日にアメリカのコーデル・ハル国務長官から日本側に提示されます。

undefined
ハル国務長官
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64384

内容は、日本軍の中国および仏領インドシナからの全面撤退、前年に締結された日独伊三国同盟の破棄が、対日経済制裁を解除する条件であると、日本にとっては非常に厳しいものでした。

日本国内では、1937年の日中戦争開始以来、4年にもわたる戦争で多くの犠牲を払っており、中国からの全面撤退は到底受け入れられる状況にはありません。

中国で戦っていた日本軍指揮官の中には、「アメリカとの戦争が避けられるのであれば、このさい中国からの撤兵は大したことではない」という声も聞かれましたが、戦死で父親や息子を失った遺族をはじめ、中国全面撤退は日本の国民感情には受け入れ難いものでした。

政府や軍部の指導者も「中国の全面撤退など、アメリカの要求を全面的に受け入れても、戦争を回避するに越したことはない」と心の中では分かっていても、自己の保身や国内での暴動などを恐れて、もはや戦争回避と言えなくなっていました。

当時の日本は天皇を頂点(と言っても直接行政を執り行うわけでなく、その責任もない)のもと、内閣総理大臣や軍の最高指導部が同等の権限(首相や大臣、軍のトップもそれぞれが天皇に対してのみ責任を負っていた)を持っており、決定権と責任の所在があいまいな政治体制のもとで、ズルズルと戦争に突き進む方向へと進んでいきました。

アメリカの「ハル・ノート」と沸騰した日本の国民感情の間で、板挟みになっていた指導者たちが、大きな混乱を起こさず戦争を回避できるとすれば、当時の日本における政治体制の頂点である天皇の聖断を仰ぐしかありません。

日本がこの3年8か月後に、戦争の終結を決意して天皇の呼びかけで事態を収拾したように。

しかし、当時その聖断を求めることは、主権者である天皇に対する政治責任の放棄とみなされ、御法度でした。聖断を求めた指導者は、国賊と見なされ暗殺など命の危険にさらされた可能性があります。

結局、指導者は誰一人「天皇の聖断を仰ぐ」とは言えず、日本はこの「ハル・ノート」をアメリカ側の最後通牒と受け止めました。

そして東條首相が決めた12月1日午前零時までとした交渉期限内での妥結は困難と判断し、ついに開戦を決意します。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

風鳴り止まず〈真珠湾編〉【電子書籍】[ 源田実 ]
価格:1,100円 (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

真珠湾攻撃を決行

日米交渉のさなかにあった1941年11月26日、日本海軍の空母6隻を中核とするハワイ空襲部隊が、択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾から密かに出航します。


ハワイ真珠湾へ向けて航行する日本軍の空母
引用元:源田実『パール・ハーバー』(幻冬舎)

12月2日、ハワイ真珠湾を目指して航行中の艦隊に宛てて、日本本国から「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電文が発信され、攻撃日は日本時間の12月8日に決定されました。

アメリカ側も、「ハル・ノート」を提示したことで日本が近く軍事行動を起こすと見ており、そのためにハワイ真珠湾に太平洋艦隊の総力を集結させていました。

日本の外交暗号の解読により、「機密書類の破棄、在米日本大使館の閉鎖」など、日本がアメリカと国交を断絶して戦争状態に入る準備をしていることはつかんでいました。

しかしこの時点で、真珠湾攻撃を計画していた日本海軍の暗号までは解読できていません。

そのためアメリカは、日本軍による攻撃がフィリピンや油田地帯のある東南アジアなどに対するものと見ており、まさか自らの本拠地である真珠湾に日本軍の艦隊が迫っているとは予想だにせず、ハワイ真珠湾では、これといった空襲への対策も行っていませんでした。

そして、12月8日(現地時間12月7日の朝)を迎えます。

undefined
出撃前の最終確認を行う空母「加賀」の搭乗員たち
引用元:ttps://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10901343

undefined
空母「翔鶴」より、ハワイ空襲へ向けて発進直前の日本軍機
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6032339


空襲直前、ハワイ真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊
引用元:源田実『パール・ハーバー』(幻冬舎)

この日、ハワイは日曜日で、太平洋艦隊はのどかな休日を迎えるはずでした。

このときハワイには移動式の対空レーダーが6か所に設置されていましたが、運用終了時間の午前7時になり、撤収作業をしていました。

その撤収作業中のレーダー1基が突如、大編隊と思われる機影を捉えます。

しかし、このときレーダーを操作していたのは2人の兵士で、1人は新米でもう一人の兵士から操作法を学んでいる途中でした。それでも教えている兵士が新設された情報センターに電話をします。

運の悪いことに、休日で本職の管制官は休んでおり、電話に出たのがレーダーの仕組みを理解するために訓練をしていた士官でした。

この士官は、電話を受けた時点で、この日にアメリカ本土からハワイに飛来する予定のB-17爆撃機や、味方の空母が航行中だという情報を把握しており、電話をしてきた兵士に「気にするな」と伝えてしまいます

このほかにも、直前に現地ハワイのアメリカ軍は、空襲前に真珠湾に侵入した日本軍の特殊潜航艇を撃沈するなど、何度か日本軍の攻撃が迫っていることを察知する機会がありましたが、全て逃してしまいます。


空襲に先がけてハワイ真珠湾に侵入した日本軍の特殊潜航艇
引用元:源田実『パール・ハーバー』(幻冬舎)

ハワイ真珠湾への空襲は、確実に迫っていました。


ハワイ真珠湾へ向けて飛行する日本軍の水平爆撃隊
引用元:源田実『パール・ハーバー』(幻冬舎)

現地時間の午前7時49分、日本軍空母から飛び立ってハワイ真珠湾上空に到達した空襲部隊の総指揮官機が各機にたいして、電信機で「ト・ト・ト」(全軍突撃)を命令。


日本軍機が真珠湾に到達
引用元:源田実『パール・ハーバー』(幻冬舎)

同じ指揮官機が午前7時52分、空襲部隊を送り込んだ空母赤城に「トラ・トラ・トラ」(ワレ奇襲二成功セリ)を打電します。

ホノルルの航空基地には、急降下する航空機の耳をつんざく音に、現地アメリカ軍の作戦士官である中佐が、当直士官に向かって「機体番号を調べろ!安全ルール違反を報告しなければいかん」と命令。

中佐が「機体番号が分かったか?」と聞くと

当直士官が「いえ、わかりません。赤いバンドがついているので隊長機と思われます」

と見ていると、黒い物体を落とし直後に大爆発の音が聞こえ

中佐は「隊長機を調べる必要はない。あれは日本の飛行機だ!」と叫び、無線室に向かって電信兵に「真珠湾空襲さる。これは演習ではない!」と打電させ、ようやくアメリカ軍も日本軍のハワイ空襲に気づきます。


真珠湾攻撃の第一弾を浴びる
引用元:源田実『パール・ハーバー』(幻冬舎)

真珠湾のフォード島に係留されていた戦艦や、基地に駐機されていた航空機に対して、魚雷や爆弾による攻撃が矢継ぎ早に行われ、約3時間、第1次攻撃隊、第2次攻撃隊の総数350機の日本軍機による攻撃で、アメリカ太平洋艦隊は壊滅。


日本軍機による攻撃で、沈没しつつある
アメリカ軍の戦艦
引用元:http://historyjapan.org/pearl-harbor-attack


真珠湾攻撃の翌日、アメリカもついに参戦を決意。12月10日、日本の同盟国ドイツもアメリカに宣戦布告をして、第2次世界大戦が地球規模の戦争へと拡大していきます。

アメリカ太平洋艦隊の壊滅で、制海権の空白ができた太平洋地域は、以降約6か月にわたって日本軍による破竹の進撃が進められることとなりました。

しかし、真珠湾攻撃はアメリカ人の戦意を挫く目的だったものの、攻撃内容が極秘であり、当時の在米日本大使館のタイピストに宣戦布告の文書を作成させられないことから、普段タイプライターに慣れていない上級職員が直接作成したために、アメリカへの文書交付に時間がかかり、攻撃直後に宣戦布告の文書がアメリカ側に手渡されてしまいました。

undefined
日本への宣戦布告書に署名するルーズベルト米大統領
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3922732

その結果、「だまし討ち!」「リメンバー・パールハーバー!」(真珠湾を忘れるな!)と、むしろ戦意高揚のプロパガンダに利用されて、アメリカ人の日本に対する敵愾心を煽る結果となってしまったのです。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

いまこそ読みとく太平洋戦争史 やさしい!くわしい!新しい!! [ 諏訪正頼 ]
価格:1,870円(税込、送料無料) (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

まとめ

真珠湾攻撃の時系列

・1931年の満州事変、1937年の日中戦争による日米関係の悪化。
・1940~41年にかけて日本軍の仏領インドシナへの進駐。近い将来アメリカによる石油禁輸を想定して、東南アジアにある石油などを確保する足掛かりとする。
・アメリカは、日本軍の仏領インドシナへの進駐を、フィリピンなど自国植民地への脅威とみて、対日資産の凍結、石油の対日全面禁輸などを行う。
・「制裁解除は、中国や仏領インドシナからの撤退が条件」とのアメリカの要求を受け入れるか? 戦争を起こして東南アジアの資源を確保するか?
・日本は「外交・作戦併行」。開戦の準備を進める一方、アメリカとの外交交渉も行う。
・アメリカ側から「ハル・ノート」が日本に提示される。「対日制裁の解除は、中国および仏領インドシナからの全面撤退、日独伊三国同盟の破棄が条件」
日本はこの「ハル・ノート」をアメリカ側からの最後通牒として、開戦を決意。
・「ハルノート」が日本側に提示される前日の1941年11月26日、空母6隻からなる日本軍のハワイ空襲部隊が単冠湾から密かに出航。
ハワイに向かっていた空襲部隊に対して、日本本国から「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が打電される。ハワイ真珠湾の空襲は(日本時間)12月8日と決定。
・12月8日の真珠湾攻撃は、完全な奇襲攻撃となり成功。
・しかし攻撃直後に宣戦布告の文書がアメリカ側に手渡され、「だまし討ち!」「リメンバー・パールハーバー!」(真珠湾を忘れるな!)とアメリカ国内の戦意高揚に利用されてしまう。

真珠湾攻撃への論評

孤立主義から当時のアメリカ世論は、第2次世界大戦への参戦に消極的でした。

そこでルーズベルト大統領をはじめ政府は、参戦の大義を見いだすべく、日本に先に撃たせるように厳しい交渉条件を提示して、日本から戦争を仕掛けるように仕向けたと見ることもできます。

しかし、それがまさか真珠湾攻撃というかたちで跳ね返ってくるとは、思いもよらなかったでしょう。それは日本軍の空襲に対して、全くと言っていいほど対策を講じておらず、一方的に太平洋艦隊を壊滅させたことから分かります。

そして真珠湾攻撃の5か月後に、ようやく日本軍との空母対空母の戦いを行なえる戦力が整ったことからも証明されます。

これは真珠湾攻撃後に、アメリカが空母を主体とした航空主兵に気づき、そのための訓練をスタートしたことを示しています。

この航空艦隊の戦力が整うまで、太平洋で制空権を確保できないため、米領フィリピンやグアムなどに援軍を送れず、日本軍の進撃を防ぐ手立てがありませんでした。

いまだに「真珠湾攻撃を、アメリカ政府は事前に把握していた!」という陰謀論がありますが、これは事実と憶測が混同されていると見られます。

正確には「日本軍の攻撃があることは、外交暗号の解読により事前に予測できたが、真珠湾に攻撃があることは知らなかった」

このような陰謀論は、ストーリーとしては面白いですが、それが事実だとすると次の2つの疑問から、その後のアメリカ軍の行動のつじつまが合わなくなってしまいます。

➀ 真珠湾攻撃を事前に把握していたのなら、なぜ対策を講じなかったのか?
② 事前に把握していたのなら、なぜアメリカ軍は航空艦隊をいち早く作って、せめて真珠湾攻撃後すぐ日本軍の航空艦隊に対抗しなかったのか?

それゆえ、真珠湾攻撃直後に日本からの宣戦布告書がアメリカへ手渡されるという失態は、アメリカ政府にとって渡りに船だったと言えるでしょう。

真珠湾攻撃を防げなかったアメリカ政府の大失態を覆い隠し、反対に「だまし討ち!」「リメンバー・パールハーバー!」(真珠湾を忘れるな!)とアメリカ国内の戦意高揚に利用できる口実になったのですから。


[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

風鳴り止まず〈真珠湾編〉【電子書籍】[ 源田実 ]
価格:1,100円 (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

いまこそ読みとく太平洋戦争史 やさしい!くわしい!新しい!! [ 諏訪正頼 ]
価格:1,870円(税込、送料無料) (2023/12/7時点)

楽天で購入

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました