よく歴史に「もしも」はないと言われますが、現実的な範囲で「もし、史実と異なる結果になっていればどうなったか?」を考えることで、よりその歴史的な出来事の重要性が認識できます。
今回は、太平洋戦争の転換点と言われるミッドウエー海戦での日本軍の敗北という史実を反転し、もし「日本軍がミッドウエー海戦で勝利していたら?」その後の戦争の推移はどうなっていたかをシミュレーションしてみたいと思います。
指揮官の2つの誤判断がなければ
史実のミッドウエー海戦では、一部の暗号解読と偽情報の流布により日本軍の作戦が察知されていました。
しかし、それだけで当時の戦力で劣るアメリカ軍が勝利する見込みはありませんでした。
問題は現場指揮官である南雲中将の2つの誤判断です。
この2つの誤判断によって、戦力的には圧倒的に優位だった日本軍が空母4隻喪失という、まさかの大敗北を喫する結果となってしまいました。
この2つの誤判断、少なくとも2つ目の誤判断がなく、敵空母への攻撃隊を先に発進させていたら、当時最高潮に達していた日本軍攻撃機・雷撃機パイロットの技量から、ミッドウエー島海域にいたアメリカ軍空母3隻のうち2隻以上の撃沈もしくは大破という戦果が得られた可能性が高いと予測されます。
さらに味方空母上空に敵攻撃機が到達しても、史実では50機近いアメリカ軍雷撃機は零戦隊によってほぼすべて撃墜され、1発の魚雷も命中していません。
加えて史実通りその後のアメリカ軍爆撃機の日本軍各空母への3~4発の直撃弾でも、敵艦隊への攻撃と味方上空を守ることで搭載機が出払ったカラの状態、各空母の上甲板が燃料や機銃弾・爆弾などの危険物がほとんどない状態では、小中破に止まり、日本軍は1隻の空母も喪失しなかったと考えられます。
その結果、ミッドウエー海戦は、アメリカ軍の空母2隻喪失もしくは1隻喪失1隻大破、残る1隻も中破、これに対し日本軍は2~3隻小中破という日本の勝利に終わり、日本軍空母の修理に要する時間を1.5~2か月として、史実の1942年8月から始まるソロモン沖海戦から使用可能という状況から見ていきます。
ハワイ攻略は断念
ミッドウエー海戦で空母の損傷を受けながらも、それ以上の損害をアメリカ軍に与え勝利した日本軍は、海軍の山本五十六を中心にハワイ攻略を目指します。
しかし、当時ハワイは総勢40万近いアメリカ軍がおり、日本陸軍が「兵力不足」を理由に兵力の供出を拒んだでしょう。陸軍としてはあくまで対ソ戦に備える目的から、ハワイ攻略に出せるだけの兵力がありません。
日本海軍には陸上戦闘を担当する陸戦隊がいましたが、とても単独でハワイ攻略は無理です。
結果、ハワイ攻略は諦め、ミッドウエー海戦の勝利に伴い攻略したミッドウエー島を基地とする定期的なハワイ空襲を行い、アメリカ軍をハワイ以東に押し込める戦略をとります。
その間に、史実では中止になったMO作戦(ニューギニアのポートモレスビー攻略作戦)・FS作戦(フィジー島、サモア島攻略作戦)を行い、通商破壊による米豪間の船舶の行き来を遮断しつつ、オーストラリアに空襲を加えてオーストラリアの孤立化を図ります。
オーストラリア屈伏を狙い早期講和を目指す
アメリカ軍はオーストラリアの孤立を防ぐため、空母を派遣して日本軍の行動を阻止しようとしますが、ミッドウエー海戦での敗北により、正面切っての日本軍との空母対空母の戦いはできません。
ミッドウエー海戦で生き残った空母を突貫工事で修理して、フィジー島、サモア島およびソロモン諸島の日本軍基地沿岸に進出して、一撃を加えて離脱するヒット・エンド・ラン戦法を繰り返します。
しかし、日本軍の通商破壊とオーストラリアへの空襲を止めるまでには至りません。オーストラリア国内では、「日本軍の上陸が近いのでは?」との声も聞かれるようになり、国民の不安や厭戦気分がもたげ始めます。
アメリカ国内でも、「オーストラリアが屈服したら、太平洋戦線でアメリカは事実上単独で日本に対峙しなければならない」と不安の声も聞かれるようになり、アメリカ国内でも厭戦や反戦の機運がもたげはじめます。
オーストラリアの孤立化で、オーストラリアを太平洋戦線から離脱させ、それに心理的な不安を覚えたアメリカにも講和に応じさせる。これが日本の狙いです。
1942年当時、日本ではオーストラリア北東部の攻略も考えられましたが、ハワイ攻略案同様に、陸軍の協力が得られず断念。
代わりに日本海軍の潜水艦による通商破壊、ポートモレスビー、フィージー、サモア各基地からの航空機によるポートダーウィンなどオーストラリア各地に対して史実以上の空襲を加えることで、オーストラリアに屈伏の圧力をかけたと考えられます。
連合軍の反攻は1943年夏以降
アメリカではルースベルト大統領が焦りの中にいました。「このままでは、オーストラリアが単独講和など、日本に屈伏し、それを見た我が国民も厭戦気分に陥って日本が用意した講和のテーブルにつかざるを得なくなる」
当初アメリカは、ナチス・ドイツやイタリアに対するヨーロッパ戦線を第一とし、太平洋戦線は第二として戦略的守勢をとる方針でした。この方針に従って「対日戦の反攻時期は1943年夏以降」とされていました。
しかし、ミッドウエー海戦での敗北で、戦略的守勢が崩壊した今、日本軍に対して反撃に打って出るしか、ルーズベルトには残されていません。もし、日本の提示した講和の席に着くことがあれば、彼の政治生命はおしまいです。
「日本の用意した講和のテーブルに着くリスクを冒しても、反攻のための戦力が整う1943年夏以降まで待つか、それとも大敗北を被るリスクを冒してでも今反攻に打って出るか?」
オーストラリアの孤立化を防ぐために、ルーズベルトは後者を選びます。そのための反攻拠点は史実どおり1942年8月のガダルカナル島への上陸作戦。ミッドウエー海戦での敗北により十分な航空支援が無いため、上陸部隊はアメリカ第1海兵師団の史実の半数である5000名。
当初、ガダルカナル島への上陸は、日本軍がこの時期の反攻をまったく想定していなかったため成功。
1942年8月7日、ガダルカナルに上陸する海兵隊。制空権が確保できない
中でも、上陸当初の飛行場の占領には成功しただろう。
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=984848
島の飛行場を占領し、史実通り、敵兵力を2000人と予測し、逆上陸をしてきた日本軍の先遣隊を蹴散らします。
しかし、その後ミッドウエー海戦からの損傷修理を終えた日本軍空母の戦線復帰により、ガダルカナル島周辺の制空権・制海権を奪われ、上陸したアメリカ軍海兵師団は孤立し始めます。
史実以上の日本軍戦艦によるガダルカナル島の飛行場周辺への艦砲射撃と空爆が行われ、アメリカ軍の輸送船はことごとく日本軍に沈められるため、アメリカ軍は駆逐艦なども動員して必死の物資輸送を行います。この必死の輸送は日本軍から「アメリカン・エクスプレス」または「ワシントン・エクスプレス」と呼ばれました。
そして史実の第1次~3次のソロモン沖海戦および南太平洋海戦も戦力優勢な日本軍の勝利に終わり、当初は善戦していたアメリカ第1海兵師団も、その後豊富な物資とともに上陸する日本軍に圧倒されていきます。
南太平洋海戦で、米空母ホーネットを攻撃する日本軍機。史実では、この海
戦でアメリカ軍の稼働空母が一時的にゼロになった。
引用元: https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=354836
ソロモン諸島沖の制空権・制海権喪失のためアメリカ陸軍などの援軍上陸もかなわず、ガダルカナル島のアメリカ軍は飢餓とマラリアなどもあり戦力を失い、ついに上陸から4か月後の1942年12月に日本軍に降伏。
日本軍はガダルカナル飛行場を再占領し、航空機を進出させます。
講和に持ち込めなければ史実以上の長期化
このガダルカナル島での戦いにおける日本軍の勝利により、オーストラリアおよびアメリカの国民が厭戦・反戦へと傾けば、講和が実現した可能性があります。
しかし、ガダルカナル島などソロモン諸島での反攻をアメリカやオーストラリアが諦めず、また両国の国内世論が依然として戦意を保っていたならば、米豪遮断以上の船舶と物量で海上輸送を維持し続け、また1943年の夏以降、連合軍による反攻が本格化して、日本軍は次第に劣勢になっていったでしょう。
東南アジアの占領地から石油などの資源を、史実よりも日本に供給し続けられたのかどうかにもよりますが、対日反攻の本格化が史実より遅れた分、実際よりも戦争が長引いた可能性があります。
そうなると、戦争が終わる前にソ連軍の北海道上陸が行われ、アメリカ軍の九州南部や関東への上陸も行われていたかもしれません。
さすがに補給能力の限界からソ連が占領できるのは北海道の一部に止まったでしょうが、「北北海道人民共和国」なるものができていたのかもしれませんし、アメリカ軍が上陸した本州では沖縄戦以上に多くの犠牲を伴う悲惨な結果になっていたでしょう。
まとめ
今回見てきた歴史の「もしも」。
ミッドウエー海戦で日本軍が勝っていたら、その後の戦局はかなり違ったものになっていたでしょう。
しかし、史実からシミュレーションをしても、戦争の帰結に直接影響を及ぼすほどの出来事にはなり得ないことが分かります。
ただ、このもし実際に起こったことと「現実的な範囲で」異なる結果になっていたらを考えることで、その歴史的な出来事の重要性がよく理解できます。
私も自分の持っているわずかな知識で、今回はじめて歴史の「もしも」を考えてまとめてみました。
本来こういうことは専門家が行うべきことかもしれませんが、素人でも素人なりに考えることで、歴史により興味・関心がわくので、「歴史は暗記で嫌い」という人も自分なりに歴史的な出来事の「もしも」を考えてみると歴史の面白さが発見できるので、ぜひおススメです。
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