イギリス人女性を殺害し、整形と居場所を転々としながら2年7か月も逃亡した市橋達也は、かつて同僚ホステスを殺害し、14年以上の逃亡の果てに逮捕された福田和子を彷彿とさせます。
2023年6月27日の『ザ!世界仰天ニュース』で、殺人犯市橋達也の逃亡961日が取り上げられます。
そこでこの事件の背景と、なぜ市橋が2年7か月という長期にわたって逃亡することができたのかについて見ていきたいと思います。
事件内容
2007年3月26日、千葉県市川市において、NOVA英会話学校講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が、市橋達也(当時28歳)によって殺害された事件です。
リンゼイさん
引用元:https://www.jiji.com/jc/v2?id=20091105ichikawa_murder_01
市橋は医学部を目指していましたが失敗、4浪のち千葉大学園芸学部に入学。2005年に卒業していましたが、就職はしていませんでした。当時大学院に進学するために、親所有のマンションで月12万円の仕送りを受けながら、英語の勉強をしていたとのこと。
被害者のリンゼイさんとの接点は、2007年3月20日に市橋がメトロ行徳付近で声をかけ、その後リンゼイさん宅まで押しかけメルアドを聞くなどしました。その後、3500円で英会話の個人レッスンを行うことを約束したそうです。
なお、この個人レッスンは「NOVA」のプログラムとは無関係なものだったことが後で判明しています。
事件前日の3月25日に、市橋がレッスンの代金を忘れたと言って、リンゼイさんと2人で市橋の自宅に向かいました。そこで市橋が背後からリンゼイさんに抱き着くと、拒絶されたために押し倒して、結束バンドで被害者をしばり暴行しました。
翌3月26日に、手の拘束を解いて逃げようとするリンゼイさんの頸部を圧迫して殺害。
被害者のルームメイトだった女性から行方不明の相談を受けた千葉県船橋警察署の警察官が、被害者の自宅を捜索。市橋の電話番号とメルアドなどのメモを発見し、署員数人で市橋の自宅に向かいました。
署員が市橋の家に入ろうとすると、市橋は非常階段を駆け降り逃走。非常階段にも捜査員を配置していましたが、取り逃がす結果となってしまいました。
3月27日に市橋の自宅ベランダに置かれた浴槽の内部でリンゼイさんの遺体が発見され、死体遺棄容疑で指名手配されます。
逃走後、市橋はしばらく近隣の住宅地の物陰に潜んでおり、そこで捜査員に発見されて羽交い絞めにされるも、またも逃走に成功してしまいました。
整形し居場所を変え続けて逃亡
市橋は逃走直後、放置自転車や電車を利用して、その日のうちに上野経由で秋葉原に向かい、途中立ち寄った東大医学部付属病院の障害者用トイレで、なんと自己整形手術を行っています。
自らカッターナイフでほくろを切り落とし、下唇を小さくするためハサミで切っています。かつての福田和子もしかり、逃走の執念が感じられます。
このときの所持金は5万円だったそうです。
その後は埼玉・群馬・茨城と放浪し、静岡県熱海市を経て駿河湾まで南下した後に、青森県に移動しました。
事件前に福岡県の知人あてに遊びに行く旨のメールをしており、逃亡先が判明するのを恐れての行動だったと言われています。
青森駅前公園で1週間ほど寝泊まりして、青森の経済状況がよくないと感じ、働いて生活するために大阪市のハローワークを訪れますが、ここで職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動しました。
ほんとうに目まぐるしく移動して、警察の捜査が追い付いていなかったという印象を受けます。
四国では、なんとお遍路道を歩きました。これには贖罪の気持ちと「逮捕されればさらしものになる」「指名手配されると自首しても刑は減刑されない」と考えて、出頭はしませんでした。
まあ、贖罪の気持ちがあるなら「出頭しろよ」と言いたいところですが、このときも逃亡の執念が勝ってしまったということでしょう。
お遍路の先々では自分の手配写真が掲載されており、逮捕も時間の問題と考え、無人島での生活を考えます。高知の図書館で無人島について調べ、沖縄県のオーハ島に渡ることに決めました。
オーハ島渡航は準備不足で1週間ほどで挫折し、資金がつきたため、沖縄本島の建設現場で偽名を使い働いて資金を稼ぎ、宿舎付近で警察らしき車両を発見すると、所持金を部屋に残し逃げ出すことを繰り返していたそうです。
この経験から、大阪で働き資金を得てオーハ島で生活するという二重生活を考えついたとのこと。
2008年春には何と自宅の近隣に所在しており、大胆にも東京ディズニーランドを訪れていました。
罪を犯した者は逃げる期間が長くなるほど、「自分は捕まらない、これくらいのことをしても大丈夫だろう」という心理になり、かえって行動が大胆になっていくのだそうです。
また、『元知能犯担当刑事が教える ウソや書く仕事を暴く全技術』(森透匡・著)によると、犯人は現場にもどって「証拠を残していないだろうか?」「目撃者はいなかったのか?」「防犯カメラが設置されていたのか?もし設置されていたら、どう映るのだろうか?」を確かめ、警察の捜索が自分に近づいているのかどうかを推測するのだそうです。
逃亡している犯人は、毎日毎日警察に捕まるのではないかと不安に苛まれる中で、安心感が欲しくて、現場に戻り証拠を残していないか確認して「自分が犯人だということを警察は気づいていないから、捕まらない大丈夫」という安心感が欲しいのだとか。
個人的に、もちろん殺人をはじめ犯罪を犯したことはありませんが、もし自分が犯罪を犯し何が何でも逃げたいとなったら、長い逃亡生活で緊張を保ち続けることは困難で、どこかで気持ちが緩み行動が大胆になるかもしれませんし、「警察に捕まらない、大丈夫」という安心感を得たいがために、現場に戻って「証拠を残していないか」を確かめようとする気持ちも分かるような気がします。
このように見ると、大胆不可解と思える犯人の行動も、特に長く逃亡している犯人の行動ほど心理的に定石の行動をとっていることが分かります。
そこから、たとえ時間が経過しても犯行現場の特定や、その犯行現場での張込みがいかに重要なのかがよく分かります。
市橋の逮捕には、懸賞金がかけられた
引用元:http://jiji-bibouroku.blog.so-net.ne.jp/2009-06-27-6
ほぼ無人島での生活
市橋は、逃亡中にこのオーハ島を4回訪れており、最長で3か月ほど滞在していたこともあります。この島はダイビングスポットや海水浴としては人気があるそうですが、当時70代の男性一人が居住していました。
ほぼ無人島です。1回目の滞在は準備不足でまたも失敗したものの、2回目以降の滞在では、事前に図書館などでサバイバルに関して調べて、魚や蛇・ヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどして生活していました。
2009年10月23~24日に名古屋の美容整形外科で、眉間の整形手術を受けました。
(左)市橋の当初の顔、(右)整形後の顔
引用元:https://www.jiji.com/jc/v2?id=20091105ichikawa_murder_14
三者からの通報、ついに逮捕
通報②
通報③
結局、フェーリー会社より通報を受けた警察が大阪南港に先回りをして、ついに市橋は逮捕されます。2年7か月の長い長い逃亡劇でした。逃亡中、市橋は自分の事件を新聞や携帯ラジオで頻繁に確認し、「人を殺したから、もし捕まったら死刑だろうか、死刑は嫌だ!それに捕まってさらし者になるのも、絶対に嫌だ!」という気持ちで逃げていたそうです。
逮捕時の市橋達也
引用元:https://ameblo.jp/ameame0812/entry-10398435441.html
2009年12月23日に起訴され裁判員裁判が始まり、2011年7月21日に千葉地裁により「計画性がなく、更生可能性がないとはいえない」とされ、無期懲役判決が言い渡されました。
弁護側が控訴し、殺意を否認した上で「有期刑(懲役20-30年)が妥当」と主張しものの、東京高裁での控訴審でも「被告人(市橋達也)に真摯な悔恨がみられない」として、千葉地裁の一審判決を支持する判決が出されます。
2012年4月25日の検察・弁護側の双方が上告しなかったため無期懲役の判決が確定。市橋は現在、長野刑務所へ収容されています。
警察の全国にわたる情報共有システムがない
市橋がこのように長い期間逃亡できたのは、6つほど理由が考えられます。
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最初の逃走に成功したこと。
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自分で整形手術をして、指名手配の写真に決して載ることのない印象になったこと。
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逃亡初期からめまぐるしく居場所を変え、捜査の手が及ぶ前に他県へ移動したこと。
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図書館や建設会社など、「身近にいるはずがない」という意外性を利用したこと。
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無人島での自給自足と大阪を行き来する二重生活を実行したこと。
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他県で職務質問されても、何より情報共有がないため別人と見られてしまったこと。
特に6番目の理由に関して、日本の警察組織は、全国にわたる情報共有のシステムが無いことが問題視されます。広域捜査で合同捜査本部を立ち上げれば、県をまたいだ情報共有が行われますが、それ以外、他県の県警どうしでの情報共有システムというのはありません。
これでは福田和子や市橋達也のように、同じ場所に長く存在せず全国にわたって逃亡する犯人を捕まえるのは難しくなります。情報共有されないと、他県のいく先々で姿・格好を変えられてしまえば、警察の職務質問などでも別人と認識されて取り逃がす恐れもあります。
そもそも何が何でも逃げようとする意志のある犯人ほど、同じ格好や印象でいるはずがありません。
やはり警察間の縄張り意識や、他県に捜査員を派遣して、他県警との関係を悪くしたくないという意識があるのでしょう。
それは人間なので縄張りや自分の県に逃れてきた犯人は、自分たち県警で対処して成果を挙げたいという思いも当然だと思います。
しかし、そうしている間に事件の犯人を取り逃がし、行く先々の住民の不安や治安が乱されては本末転倒でしょう。やはり、全国的な情報共有システムを構築して、他県に逃れても迅速にその地域の県警や警察署の捜査によって逮捕できるような体制が望まれます。
全国にわたって逃亡をする意思をもった犯人は、
- 整形手術を受ける恐れがある。
- 医療も健康保険証が使えないので10割診療になる。
- 「証拠を残していない否かを確かめる」という犯人の心理から、一回は犯行現場に戻ってくる。
- 免許書などの身分証を呈示しなくても良い場所や、職場で働いている可能性がある。例えば、逃亡中は身分証が必要な賃貸契約などができないので、寮や住み込みで働ける職場にいる可能性が高い。(市橋は大阪の日雇い労働者が多い場所で働いていた。日雇いの人が多いところでは、履歴書も出さなくてよいし、突然辞める人もいるので不審に思われないなど、犯罪者が潜り込みやすい)
日本国内で逃亡している限り、上記の観点から全国の警察で情報共有をして、それらしい人物を絞っていくと、かなり早い段階で犯人を確保できる可能性が高いと考えられます。
このように第2の福田和子と言われる市橋事件も、一つの重要な教訓として今後の事件捜査に活かされることが望まれるでしょう。
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